ぶんたです。(^^)
五所川原は朝から雨が降っています。
お昼のニュースで見ましたが、熊本地方の皆さんは、余震がまだ収まっていない状況の中、雨が降って大変だと思います。
希望を見失う事無く、まず目の前の出来るところから少しづつ、復興に励んでいただけたらと思っています。
死んだ母が生前よく話しくれた、おばあちゃん (キクエおばあちゃん) の事をよく思い出します。
おばあちゃんは秋田の能代生まれで、10人兄弟の下から…忘れました。(^^;
という事も有り、幼い兄弟を背負い、あやしながら学校に行ったそうです。
そして小学校を卒業すると“おしん”ではありませんが、東京に“奉公”に出されたそうです。
おばあちゃんは上野の駅に着くまで、ずぅ〜ッと“泣いて”いたそうです。
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( 省略 )
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そんな若い時に苦労したおばあちゃんですが、戦争中、後も苦労したそうです。
母がまだ幼い頃、戦後のどこの家庭も大変で食べるのがやっとの生活をしていた時こと。
戦争に行ったお爺ちゃんが生きているのか死んでいるのか分からない時、子供たちにご飯を食べさせる為に、いろんな仕事をしていたのだそうです。
近所の畑を手伝ったり、漁師の地引き網を手伝ったり、縫い物を頼まれたり、とにかく子供たちを食べさせる為に何でもやってたそうです。
そんなある晩、子供たちに夕飯を食べさせ、寝かせ付た後、しばらくして母が疲れているはずのおばあちゃんの楽しそうな鼻歌で目を覚ましたのだそうです。
母は起きて、おばあちゃんが一人で楽しい事をしていると思い、“何しているの?”とそばに行ったそうです。
するとおばあちゃんのひざの上には、沢山の木綿糸があったそうです。それもどこが端が分からない複雑に絡んだ糸だったそうです。
おばあちゃんはニコニコしながら、この糸は糸屋さんでとても安く手に入れる事が出来る事。
どんなに複雑に絡んだ状態の糸でも時間を掛けて一つ一つは解けば、解けないものは無いこと。
そして、上手く解けた時には、パズルを解いた時の喜びがある事を話してくれたそうです。
だから、鼻歌を歌いながら一つ一つ解いているんよ。と話してくれたそうです。
幼かった母は、その時は“ふぅ〜ん”と思っただけだったそうです。
後に自分が大人になって様々な問題にあった時に、おばあちゃんの鼻歌を歌って絡んだ糸を丁寧に解いている姿が思い出され、その意味を思い出し頑張るんだそうです。
そして、ぶんたも母から聞いたおばあちゃんの糸の話を時折思い出します。
今はいろいろな事が起きて、時に超えがたいと思う事があのものです。
問題に圧倒されて諦めそうになる事があります。
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